1)日本にやってきた徐福

はるか昔、中国は秦の時代。始皇帝の命により、不老不死の仙薬を求め、日本にやってきたとされる人物、それが徐福です。
「始皇帝と不老不死の秘薬」
今から2200年ほど前の日本では縄文時代から弥生時代に移り変わろうという時代。
秦の時代の中国に『徐福』という人物がいました。
徐福の身分は方士で、不老長寿の呪術、祈祷、医薬、占星術、天文学に通じた学者でした。
この時、秦の始皇帝は『不老不死の仙薬』を求めていました。そこに目が付けられたのが、徐福。
不老不死の仙薬の入手を命ぜられ、徐福の運命が動いた瞬間でした。徐福は秦に滅ぼされた斉の国の出身であったのですが、始皇帝の命に背くことは出来ず、東方に仙薬を求めて渡海することを上申しました。
そして徐福は紀元前219年、大船団を率いて中国を出航しました。しかし、徐福は何日もの航海の末辿り着いた先で『平原広沢』得て、中国には戻らなかったとされています。
一説には、辿り着いた『平原広沢』が日本であり、農耕・製紙などの技術を伝え、日本の発展の大きな礎を築いたと言われています。
実際にこの伝説は、現在も青森県から鹿児島県まで多くの地域で受け継がれています。
一方、中国では1982年に江蘇省連雲港市贛楡(がんゆ)県にある「徐阜(じょふ)村」が、以前は『徐福村』と呼ばれていたことが発見され、現地で確かに徐福伝説が伝承されていることが確認されました。
そして、徐福出生の地として『徐福祠』が建設され、伝説上の人物ではなく、歴史上の人物として知られるようになりました。