4)中国を出向

4)中国を出向

そして徐福は紀元前219年、大船団を率いて中国を出航しました。しかし、徐福は何日もの航海の末辿り着いた先で『平原広沢』得て、中国には戻らなかったとされています。
一説には、辿り着いた『平原広沢』が日本であり、農耕・製紙などの技術を伝え、日本の発展の大きな礎を築いたと言われています。
実際にこの伝説は、現在も青森県から鹿児島県まで多くの地域で受け継がれています。
一方、中国では1982年に江蘇省連雲港市贛楡(がんゆ)県にある「徐阜(じょふ)村」が、以前は『徐福村』と呼ばれていたことが発見され、現地で確かに徐福伝説が伝承されていることが確認されました。
そして、徐福出生の地として『徐福祠』が建設され、伝説上の人物ではなく、歴史上の人物として知られるようになりました。